令和5年12月31日(日)雪
今日は一日中雪の降る日である。
これで終わったか。ひと段落だ。ここまで来た。
あとは復習。
その前に、もう一度文法の基本を「訳読のための英文法」で見直そう。
https://newidiomaticenglish.blogspot.com/2021/09/112-it-is-ill-wind-that-blows-nobody.html
令和5年12月31日(日)雪
今日は一日中雪の降る日である。
これで終わったか。ひと段落だ。ここまで来た。
あとは復習。
その前に、もう一度文法の基本を「訳読のための英文法」で見直そう。
https://newidiomaticenglish.blogspot.com/2021/09/112-it-is-ill-wind-that-blows-nobody.html
令和5年12月19日(火)雪
今日は110 ついにあと3つ。感慨深い
あと少しであるが、文法的解析を徹底的に理解させたいものだ。
例えば、to rememberの不定詞の用法は、と聞かれたら、
somethingにかかる形容詞的用法 とチャッチャと答えられるようにしたい。
節に分けることも大事な作業
Who does not work, and thinks himself above itはthe manにかかる形容詞節。
The man is to be pitied as well as condemuned. は主節
令和5年12月15日(土)雪
ちょっと暖かかった。
自分で107をやったということなので、108から。
わかりにくい文章である。
まちがっていた。
to be our visitor とは、我々の訪問者になることを と訳する
伏見啓明整形外科公式ブログ 総目次 速修 新々英文解釈研究 目次
令和5年12月10日(日)晴れ
今日は暖かな日であった。
薪割りをやった。今年最後になるのではないだろうか。
今年は十分に用意できた。
新々英文解釈研究もあと少しで終わり。
I seemed to see her mild, tearful eyes full upon me,
fullは、動詞で原形不定詞として使われている。
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1) used to かつてはよく・・・していた したものだ
1 (今と違って)以前はよく…した, かつては…するのが常であった (!doは動作動詞; → can1 1a 文法)
▸ He often used to have tea with us.
彼は以前はよく私たちと一緒にお茶を飲んだ
▸ Did you use(d) to come here when you were young?
2) be used to 名詞 あるいは doing
〖be used to A〗 Aに慣れている(⦅よりかたく⦆ accustomed); ; 〖get [become, grow] ~ to A〗 Aに慣れる (!Aは〖名詞〗〖動名〗; コーパスbecome, growはしばしば完了形で用いられる)
▸ We are (well [very, pretty]) used to hardships.
我々は困難には (よく)慣れている
▸ We have to get used to living here.
ここでの生活に慣れないといけない(╳used to liveとしない).
令和5年12月5日(火)くもり 晴れ
今日、久しぶりに、新々英文解釈研究を教えた 。
102は自分でやったと。
今日は103
https://newidiomaticenglish.blogspot.com/2021/09/103-there-is-no-rule-but-has-exceptions.html
私が学生の頃、というか、研究をしているころから比べると英語環境はかなり変わった。
ご存知の通り、AIがかなり上手に英文を日本語に訳したり、日本語を英語にしたり出来るようになった。
会話すらAI機器を用いれば、スマホのようなものでも良い、出来るようになった。
もう少ししたら、あたかも通訳がいるかのように、外国人と会話が可能になるであろう。いや、もうなっているかもしれない。
すると我々に必要な英語力は何か、と言うことになる。
もちろん英会話能力などではない。
英文を見て、その英文が正しいのか、間違っているのか。
間違っているとしたら、どこがおかしいのか、きちんと指摘できる能力である。
言い換えれば、精密な英文法の能力である。
話は変わるが、江戸時代にも色々な分野で たくさんの学問が花開いた。
漢文学は言うに及ばず関孝和の数学、伊能忠敬の地図、などなど。
彼らのような学者もまた現代と同様に学問的な「論文」をたくさん書いている。
これはどのような言葉で書いてあるか、というと、漢文で書いてあるのである。それも、純正漢文である。つまりレ点も送り仮名もないただの漢字の羅列で書いてあるのである。
言うなれば、この時代、学問を志すのであれば、純正漢文を読んだり書いたりできなければダメだった。
今の時代の我々に言わせれば、ちょっと硬いが書き下し文で書いても良いのではないか、と思うかもしれないが、あくまでも純正漢文であった。
純正漢文でなければ、学問の世界には近づけなかったのである。
では今の「研究」という世界では何かというと英語なのである。
英語ができなければ、研究の世界には入られない。
これは今もそうだし、今の30年前の私が研究していた時代もそうであった。
そして研究の世界で必要なのは、きちんとした英文を書く能力なのである。すなわち英文法の力なのである。
921. There isn't a thing beneath our feet, but teaches some lesson short and sweet.
921. 我々が足の下に踏む [つまらぬ] ものでも、何か簡単にして妙味ある教訓を与えないものはない。
922. There was scarcely a family but had at least one relative among the wounded.
922. 少くとも一人の身内を負傷者の中に持たぬ家は殆んど無かった。
令和6年3月10日(日)深夜は大雪 日中は晴れ 今日は邦楽の会 あり。 https://yaeyamaminyou.blogspot.com/2024/03/6310.html 久しぶりに英語を教えた。 直訳:服従と命令は、疑う事なく 反対のことであ...