令和5年12月5日(火)くもり 晴れ
今日、久しぶりに、新々英文解釈研究を教えた 。
102は自分でやったと。
今日は103
https://newidiomaticenglish.blogspot.com/2021/09/103-there-is-no-rule-but-has-exceptions.html
私が学生の頃、というか、研究をしているころから比べると英語環境はかなり変わった。
ご存知の通り、AIがかなり上手に英文を日本語に訳したり、日本語を英語にしたり出来るようになった。
会話すらAI機器を用いれば、スマホのようなものでも良い、出来るようになった。
もう少ししたら、あたかも通訳がいるかのように、外国人と会話が可能になるであろう。いや、もうなっているかもしれない。
すると我々に必要な英語力は何か、と言うことになる。
もちろん英会話能力などではない。
英文を見て、その英文が正しいのか、間違っているのか。
間違っているとしたら、どこがおかしいのか、きちんと指摘できる能力である。
言い換えれば、精密な英文法の能力である。
話は変わるが、江戸時代にも色々な分野で たくさんの学問が花開いた。
漢文学は言うに及ばず関孝和の数学、伊能忠敬の地図、などなど。
彼らのような学者もまた現代と同様に学問的な「論文」をたくさん書いている。
これはどのような言葉で書いてあるか、というと、漢文で書いてあるのである。それも、純正漢文である。つまりレ点も送り仮名もないただの漢字の羅列で書いてあるのである。
言うなれば、この時代、学問を志すのであれば、純正漢文を読んだり書いたりできなければダメだった。
今の時代の我々に言わせれば、ちょっと硬いが書き下し文で書いても良いのではないか、と思うかもしれないが、あくまでも純正漢文であった。
純正漢文でなければ、学問の世界には近づけなかったのである。
では今の「研究」という世界では何かというと英語なのである。
英語ができなければ、研究の世界には入られない。
これは今もそうだし、今の30年前の私が研究していた時代もそうであった。
そして研究の世界で必要なのは、きちんとした英文を書く能力なのである。すなわち英文法の力なのである。
921. There isn't a thing beneath our feet, but teaches some lesson short and sweet.
921. 我々が足の下に踏む [つまらぬ] ものでも、何か簡単にして妙味ある教訓を与えないものはない。
922. There was scarcely a family but had at least one relative among the wounded.
922. 少くとも一人の身内を負傷者の中に持たぬ家は殆んど無かった。
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